これは僕が書評を書いていいものか、と実は迷いながら書いている。島本理生から始まる17人の女性によるリレーエッセイはまさにタイトル通りのテーマで雑誌「文學界」に連載されたものだ。
「私の身体を生きる」、これは彼女たちにとって、というか、女性にとってかなり深く重いテーマなのだとすべてを読んで強く感じた。柴崎友香が編集者に「なぜ書き手の性別を限っているか」確かめたかったと書き、実際に会ってその話をしているのだが、そこで「女性が自ら身体や性について自分の言葉で語ることは長らく抑圧されてきたが、一方で、身体や性について説明や理由を求められるのも、女性や性的マイノリティの側である。語らされないのも、語らされるのも、同じ構造のもとにある。つまりは、中心にいる側の人の言葉で中心にいる側の人にわかるように語れ、ということで「わかる」がどうかは中心にいる側の人が決めてきたということ」と疑問をのべている。柴崎さんらしい問いかけだと僕は思ったのだが、ここで書かれているエッセイはまさにこの構造の埒外にあって、そのために男性である自分はちょっとびびって?しまって、書評を書くのをためらっているのだ。
これは多くの女性に手に取ってほしいエッセイ集だ。それぞれが語る、それぞれの身体と心。そこには大きな共感もあるだろうし、え〜〜っという驚きもあるだろう。書き手自身も自らの身体に向き合いながらも、戸惑い、しっかりと受け止めきれない感じさえする。一人一人が他にはない自分だけの身体を生きている。その身体をちゃんと感じられることがこの1冊のスゴイところだと思う。最後にバカなことを書くけど、これの男性版は考えられない。男はこういうことに向き合わないよう、向き合わないよう生きているのだ。朝井リョウあたりがどんなことを書くか少しだけ興味があるけれど。
◆DATA 島本理生他「私の身体を生きる」(文藝春秋)
◯勝手に帯コピー(僕が考えた帯のコピー、引用も)
あなたが生きている身体は
いったいどんな身体ですか?
2024.9.14 なんかまたまた暑いじゃないか。福岡の太宰府、大丈夫か?読書は内田也哉子「BLANK PAGE」。