村上春樹訳の「フラニーとズーイ」。初めてではない。以前、野崎孝訳の「フラニーとゾーイー」(タイトル表示が変わった)を読んだ。とはいえ、かなり昔のことなので内容を正確には覚えていない。読み進めるうちに、あぁ、こういう物語だったかと少しだけ思い出した。
この小説は「フラニー」と「ズーイ」、2つの章からなっている。フラニーとズーイはグラス家7人兄弟(女性もいる)の末の2人にあたる。サリンジャーはこの兄弟のことを他の小説でも書いているのだけれども、ニューヨークに住む彼らは「イッツ・ア・ワイズ・チャイルド」というTV番組にいつも誰かが出ていたというある意味有名人で、そのためにどこか少しゆがんでいる。この物語は、自意識過剰でどうにも生き難くなってしまった末娘フラニーを五歳上の兄ズーイが何とか救い出そうとする話だ。
彼ら2人のやりとりはおもしろいといえばおもしろいのだけれど、フラニーは宗教に助けを求めているので、なんだかちょっとついていけない部分も多い。昔、読んだときはあまりそれを感じなかったのだけど、今はなんだかそういうのがめんどくさい。ただ、妹を何とかしようとありったけの言葉と知識を用いて語りかけるズーイの姿は心を打つ。サリンジャーらしいといえば、すごくサリンジャーらしい作品だ。
読後に野崎訳を手にとってみると、1968年初訳というそれは、恐ろしいぐらい古くさかった。古くさいのだけど、洗練された村上訳より僕はこっちの方がなんだかピンと来る、そんな気がした。
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2014.5.20 義父、義母の調子が今ひとつ思わしくなく、妻が実家の高崎とこちらを行ったり来たりしてるので何だか落ち着かない。読書は川村元気「世界から猫が消えたなら」。途中から急激におもしろくなる。
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