「くもをさがす」は、カナダのバンクーバーで乳がんの告知を受け手術をした西加奈子さんが、2021年の春から2022年の出来事をまとめたエッセイだ。彼女は「がんの宣告をされてから日記をつけ始め、ほとんど同時進行で、この文章を書き続けて」きた。
「蜘蛛の多い家だった」から始まる冒頭の数ページがとてもいい。蜘蛛の話から体に出来た赤い斑点の話、蜘蛛が噛んだ、という女性医師の診断から、胸のしこりの発見、そして、検査、電話での宣告と続く。折しもコロナ真っ只中の日々である。静かにテイクオフした物語は、読者を一気に身も心も揺るがす激動の日々へと連れていく。
この物語は西加奈子という女性のがんの物語であると同時にバンクーバーという街の物語でもある。移民の街であるバンクーバーは誰もが新参者である。ここで暮らすことはあらゆる「他者」と暮らすことだ。ここでは病人も甘やかされることはない(手術後にドレーンを付けたまま帰宅するというのはいくら何でも乱暴ではないかと思うが)。「弱いなぁ、自分」、そんな街だからこそ彼女は気づき、自分の体は自分で守るという意識を強くするのだ。
一時帰国した時に彼女が感じた日本でのいろいろ。NGを突きつける広告(太るな、老けるな…)だったり、ファッションのNG(NGコーデ、オバ見え、若見え…)だったり、東京で子供達が歓迎されていない感じだったり、今の日本の窮屈さを思って辛い。極端なことを言えば、彼女がバンクーバーに住んでいなければこのエッセイは書かれなかっただろう。日本とは違うこの独特の空気が彼女にこのエッセイを書かせたのだ。
バンクーバーだからこそこんな裸のエッセイが書けた。そして、怖いとか痛いとかむき出しの感情が溢れていても、このエッセイにはどこかにやわらかな空気が流れている。それが読む人々にもパワーを与えてくれるのだ。看護師たちの言葉を大阪弁にしているのが効いているがクリスティという看護師が抗がん剤投与中に「好きなことやりや」と声をかける場面でグッと来た。彼女たちもまた自分の言葉で自分の思想を語ることを知っている。
手術が終わり、がんが消えたと言われた西さんがこの上ない幸福を感じながらも「待って、まだ怖いねん」と心の片隅にある思いを綴る。その恐怖を、がんサバイバーなら共感できるに違いないその恐怖を思う時に、この1冊の重みを僕たち読者は強く強く感じるのだ。 ◆DATA 西加奈子「くもをさがす」(河出書房新社)
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