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【書評】村上春樹「一人称単数」-8つの短編が奏でるのは人と記憶の不確かな物語

一人称単数

村上 春樹 文藝春秋 2020年07月18日
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 小説家・村上春樹にとって人称の問題は大きい。そういう「縛り」があることが大切だと川上未映子によるインタビューの中でも語っている。ただそれは長編のこと。短編は「縛りもなにもなく、最初から好き放題に書いていく」そうだ。で、「一人称単数」というタイトルの短編集。

 

 当然、この8編は一人称(6編の「僕」1編の「ぼく」1編の「私」)で語られ、ほとんどが回想的な物語だ。中でも好きなのは「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」という1編。この物語がおもしろいのは短編でありながら、高校の廊下ですれ違ったビートルズのLPを大事に抱えていた女の子のイメージに始まり、パーシーフェイスが好きな初めてのガールフレンドとの話、不思議な病を持つ彼女の兄との出会いと18年ぶりの再会、そこで知るガールフレンドのその後、という具合に大きな広がりを持っていることだ。同時にこの短編集のそこここで語られている「人にとっての思い出と記憶」についても深く感じるところがある話なのだ。

 

  この本の物語はリアルだったり曖昧だったり虚構だったりするのだが、その虚実はともかく、多くの主人公が過去の記憶に絡め取られている。引っ掻き傷のように残るものもあれば思い出すたびに深く心を揺さぶるような記憶もある。でもそれは常にあやふやで不確かなものなのだ。最後の一編はタイトルと同名の「一人称単数」。そのあやふやさが自分自身をも危うくしていくような物語が掉尾を飾るにふさわしい。

 

 他では親しくもない女性からピアノの演奏会に招待される「クリーム」、架空のレコードの評を書いたことに端を発する「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」が強く印象に残った。 DATA◆村上春樹「一人称単数」(文藝春秋)1500円

 

 ◯勝手に帯コピー(僕が考えた帯のコピーです)

この僕は、この私は、確かに

その記憶を生きたのだろうか?

 

◯村上春樹の他の本の書評や情報などはこちら

 

2020.9.2 菅さんねぇ、菅さんねぇ、菅さんねぇ…。やれやれ。読書はヨシタケシンスケ「欲が出ました」。欲が出たんだねぇ。

 

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