夏目漱石の小説は読んでいても彼の生涯をきちんと知っている人は意外と少ないのではないか。僕もこの物語を読みながら知らないことが多くて驚いた。伊集院静の「ミチクサ先生」は漱石の生涯を物語として俯瞰する、という意味では貴重な1冊かもしれない。
夏目金之助(漱石)の魅力は彼の周りにいる人々の魅力だ。まずは正岡子規。2人の友情については伊集院さんがすでに「ノボさん」という名作を書いている。上巻ではやはりこの2人の交流を描いた場面がいい。彼らは互いのことを尊敬し認め合っている。そんな2人の会話がとにかくイキイキとしていて読むだけで嬉しくなってくるのだ。伊集院静はこういう会話の文章が巧みだ。
さらに寺田寅彦をはじめとする有能な教え子たち、そして「書くこと」の近くにいる者たち。僕は漱石と寅彦との関係を詳しく知らなかったのでいろいろと驚いた。漱石の周りに集まる人間はまだなんだか分からない「文学」という森に分け入り、それぞれが逡巡している。その中心に彼がいるのだ。しかし、江戸っ子漱石にはその自覚がない。そこがおもしろい。妻の鏡子、女中のとくたちと彼とのやり取りも人間・漱石を感じさせて愉快だ。背景にある明治という時代も過不足なく表現されている。
上巻は帝国大学を卒業し愛媛、熊本で英語教師を勤める漱石がしだいに先生という立場に飽き「文学的生活」を望むところで終わる。小説というものの実態もおぼろで小説家という職業があったわけではない。雲を掴むような生活を思いながら次のステップへと漱石は道草をしながらも駆け上がって行くのだ。
下巻では2年間のロンドン留学、その途中での子規の死、初めての小説「吾輩は猫である」の大成功。そして、東京朝日への入社から始まる「小説を書く暮らし」が描かれていく。少しだけ残念なの下巻の後半、まさに小説家・漱石の話が駆け足になってしまったこと。その頃の状況はもう少しゆったりと読みたかった。ラストの寺田寅彦と芥川龍之介との会話がしみじみとよかった。 ◆DATA 伊集院静「ミチクサ先生」上・下 各1700円(税別)講談社
◯勝手に帯コピー(僕が考えた帯のコピーです)
◯この小説は2023年7月に講談社文庫で文庫化されました。
◯伊集院静「ノボさん」もおすすめ!!
2022.2.2 わぁ、なんだか2がたくさん揃った。2は好きな数字!!読書は金原ひとみ「ミーツ・ザ・ワールド」。
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